BBBの歴史は1984年、ドイツのケルンでココナッツ・レコーズの創立者であるトニー・ヘンドリックと彼の妻カリン・ヴァン・ハーレン(現在のカリン・ハートマン)が新しい音楽プロジェクトを立ち上げたことに始まる。当初はヴォーカルをイギリスで探していましたが、最終的にはケルンで見つけた。グループ創立時のメンバーは次のとおり:ジョン・エドワード・マキネニー(1957年9月7日イギリスのリバプール生まれ)トレヴヴァー・オリヴァー(1958年1月11日イギリスのバーミンガム生まれ、2008年1月19日ドイツのケルンで亡くなる)、アンドリュー・フレディー・トーマス(1946年5月20日アメリカのロサンゼルス生まれ、2009年7月21日ドイツのケルンで亡くなる)。

1984年秋、グループのデビューシングル「L.O.V.Eイン・マイ・カー」が発表されるが、ディスコでの好評にもかかわらずヒットチャートで大きな成功を収めることはできなかった。それはアンドリューがリードヴォーカルを務めた最初で最後の曲だった。なぜならプロデューサーがこの時メインヴォーカルをトレヴァーに切り替えたからである。

1985年春、シングル「ユー・アー・ア・ウーマン」が発表され、たちまちヨーロッパで大ヒットとなる。トレヴァーが歌ったこの曲はスイスとスウェーデンのシングルチャートで第2位まで昇り、ドイツのチャートでは第8位となる。1985年夏、デビューアルバムとなる「ホット・ガールズ、バッド・ボーイズ」が発表され、スイスのアルバムチャートで第9位となる。このアルバムよりの次のシングル「プリティ・ヤング・ガール」はスイスのチャートで第9位、ドイツで第29位、スウェーデンで第30位となる。

1986年には2枚のシングルヒット曲、「キス・アンド・ティアーズ(マイ・ワン・アンド・オンリー)」と「アイ・ワナ・ビー・ユア・ハートビート(サンデイガール)」が発表され、セカンド・アルバムのプロモーションとなる。これらの曲はドイツのチャートで第22位と第14位となり、スイスでは第26位と21位となる。アルバム「ハートビート」はグループのオリジナル曲のほか、カバー曲が2曲(ビリーオーシャンの原曲「ラブ・リアリー・ハーツ・ウィザウト・ユー」とフィル・スペクターの原曲「ベイビー・アイ・ラブ・ユー」)収録された。「ラブ・リアリー・ハーツ・ウィザウト・ユー」はシングルにもなったが、大きな成功を収めるには至らなかった。

1987年、次のシングル「ギミ・ギミ・ユア・ラビン(リトルレディ)」が第三弾アルバムに選考して発表される。トレヴァーの歌うこの曲はファンになじみの深い、典型的なBBBの楽曲であった。

次のシングル「カム・バック・アンド・ステイ」が当時グループに大きな変化をもたらすとは、誰も予想していなかった。この曲はとてつもない成功を収め、ドイツのシングルチャートで18位まで昇りつめた。この曲はジョンが最初にリードヴォーカルを務めた曲であり、女性ヴォーカルパートをライアン・レイが歌ったことも特徴的であった。1987年6月に発表されたアルバム「ラブ・イズ・ノー・クライム」では、メインヴォーカルとしてトレヴァーのほかジョンの声も聴こえる。

1988年、次のアルバム「マイ・ブルー・ワールド」が発表され、「ドント・ウォーク・アウェイ・スザンヌ」(ドイツで第44位)、「ラバーズ・イン・ザ・サンド」(ドイツで第42位)、「ワールド・ウィザウト・ユー(ミシェル)」(ドイツで第17位)という3曲のシングルヒットが生まれる。後者2曲のシングルはリミックス・バージョンとして限定販売された。アルバムに収録された曲はジョンがヴォーカルを務めたものがほとんどであり、トレヴァーは「バッド・レピュテーション」と「ラブ・ドント・カム・イージー」の2曲で歌うのみであった。この変化はグループ内の人間関係にも影響を与え、トレヴァーは脇役となっていくことに次第に不満を募らせているようであった。1988年、グループ初のコンピレーション盤となる「バッドボーイズ・ベスト」が発表される。そこには既に馴染みのヒットシングル曲のほか、新曲「ハングリー・フォー・ラブ」も収録された。2つのバージョンで発表されたこの曲はドイツのシングルチャートで第26位となる。同じ時期にトレヴァー・テイラーはグループを脱退し、ヴォーカルとしてのキャリアを求めて他のグループ Street Noise、Ozazuvas、Supa T.、Umoyaを渡り歩く。

グループはすぐに新しいヴォーカルとなるトレヴァー・バニスター(1965年8月5日イギリスのグレンスビー生まれ)を見つけ、1989年に2枚の新しいシングル「レディ・イン・ブラック」と「トレイン・トゥ・ノーウェア」を発表する。これらの曲はドイツのチャートでそれぞれ16位と27位を獲得し、グループ第5弾アルバムとなる「5th」のプロモーションとなる。同じ年にコンピレーション盤「スーパー20」も発表される。

1990年に次のアルバム「ゲーム・オブ・ラブ」が発表される。アルバムからはプロモーションとして3曲のシングル、「ハウ・アイ・ニード・ユー」(ドイツで第33位)、「クイーン・オブ・ハーツ」(ドイツで第28位)、「ジャングル・イン・マイ・ハート」(ドイツで第41位)が出される。同じ年、特別シングル「おっフィシャル・ブートレグ・メガミックス vol.1」とグループのヴィデオクリップが収録されたVHSカセット「バッド・ボーイズ・ベスト」も発売される。

1991年にシングル「ハウス・オブ・サイレンス」が、同名の新アルバムに先立って発表される。アルバムにはいい曲が数多くあったにも関わらず、制作会社は続くシングルを発表しようとしなかった。

1992年、次のアルバム「トータリー」が発表される。このアルバムのプロモーションとして3曲のシングル、「アイ・トータリー・ミス・ユー」、「セーブ・ユア・ラブ」(ドイツで第16位、アメリカで第89位)、「ラブ・ライク・ディス」が出される。アメリカでは前者2曲のシングルのリミックス・バージョンの収録された特別盤まで発売される。1992年には次のコンピレーション盤となる「モア・バッド・ボーイズ・ベスト」が発表される。そこには1989年から1992年までのヒット曲(「トレイン・トゥ・ノーウェア」、「クイーン・オブ・ハーツ」、「ハウス・オブ・サイレンス」など)のほか、ジョンの歌う「キス・ユー・オール・オーバー・ベイビー」の新バージョンや「レディ・イン・ブラック」のライブバージョン、ジョン・マキネニーとトレヴァー・バニスターが共にリードヴォーカルを務める「ユー・アー・ア・ウーマン」の特別リミックスバージョンなど、幾つかの貴重な曲がプロデューサーによって収録された。

1993年はグループの歴史の中でひとつの節目となる年であった。シングル「キス・ユー・オール・オーバー・ベイビー」(一年前に発表されたコンピレーション盤「モア・バッド・ボーイズ・ベスト」に含まれていたバージョン)がアルバム「キス」に先立って発表される。これは6曲の新曲のほか、「キス・ユー・オール・オーバー・ベイビー」と「アイ・リブ」の新バージョン、「キス・アンド・ティアーズ(マイ・ワン・アンド・オンリー)」のオリジナルバージョン、「アイ・トータリー・ミス・ユー」の新リミックス、「セーブ・ユア・ラブ」のスペイン語バージョン「Aguarda Tu Amor」の収録された特別なアルバムであった。その他にもメドレー盤「ダンシング・ウィズ・バッド・ボーイズ」と「バッド・ボーイズ・ブルー」(アメリカ限定盤)が発表された。この時期グループは大きな成功を収めたが、トレヴァー・バニスターはグループを去ることに決める。同じ時期、ジョンとアンドリューはココナッツ・レコーズを離れることに決め、インターコードという新しい制作会社と契約を結ぶ。同じ年にグループはアフリカツアーを開催し、ステージにはゲストとしてヴォーカルのオーウェン・スタンディングがあがる。しかし、彼はグループの正式なメンバーとはならなかった。その理由はBBBの前制作会社ココナッツ・レコーズが彼に提案した契約であった。よって、ジョンとアンドリューはデュエットとして活動を続けることを決定する。

1994年には全くの新アルバム「トゥ・ブルー・ホライゾンズ」のプロモーションとなる新しいシングル「ゴーゴー(ラブ・オーバーロード)」が発表され、更に同アルバムより2曲のシングル「ホワット・エルス?」と「ラブ4U 」が発表される。アメリカでもこのアルバムの特別盤が発売され、シングルB面に収録されていた「ファミリー・ビート」と「ドント・ビー・ソー・シャイ」がボーナス曲として追加収録された。同じ時期にココナッツ・レコーズもメドレー「ユー・アー・ウーマン」とシングル「ダンス・リミックス」、そしてヒット曲の新しいリミックスが収録されたアルバム「コンプリート・リミックス」を発売する。

1995年6月、新しいシングル「ホールド・ユー・イン・ユア・アームス」が新しいメドレー盤とともに発表される。グループには新しいメンバーとしてモー・ラッセル(1956年3月15日カリブ海のアルバ地方にある熱帯の島生まれ)が加わる。

1996年、新アルバム「バン!バン!バン!」およびプロモーションシングルとして同名曲と「エニウェア」が発表される。残念ながらシングルもアルバムも大きな成功を収めるには至らなかった。

1997年はグループは完全に沈黙を保っていたが、1998年3月にココナッツ・レコーズと新しい契約を結び新しいシングル「ユー・アー・ウーマン1998」が発表される。かつてのヒット曲の新バージョンは大成功を収める(フィンランドのチャートで第17位、ドイツで第52位)。夏には新アルバム「バック」(ドイツで第28位)が発表され、そこにはヒット曲の新バージョンや特別メガリミックスのほか、7曲の新曲が収録された。新リミックスのプロデューサーはほとんどがアンディ・マターンとクリストフ・シックであり、新曲のうち幾つかはドイツの有名な作曲家兼プロデューサーデヴィッド・ブランデス(ブロス・ミュージック)によって作曲、制作された。アルバムのプロモーションとして3曲のシングル「ターボ・メガミックス」(フィンランドで第8位、ドイツで第73位)、「フロム・ヘヴン・トゥ・ハートエーク」、「ターボ・メガミックス Vol.2」が発表される。同じ年、コンピレーション盤「ウィズ・ラブ・フロム・ バッド・ボーイズ・ブルー・・・バラッド・ベスト」とVHSカセット「バッド・ボーイズ・ベスト1998」が発売される。

1999年2月、インターコード制作の2枚のシングル「ホールド・ユー・イン・マイ・アームズ1999」と「ヒット・パック」が同月発売のアルバム「・・・コンティニュード」(ドイツで第38位)に先立って発売される。「バック」同様、アルバムには新曲のほかにヒット曲の新しいリミックスが収録された。1999年5月、新しいコンピレーション盤「プリティ・ヤング・ガール」が発売され、同年9月には新アルバム「フォロー・ザ・ライト」(ドイツで第80位)が発表される。このアルバムはモーが参加した最後のアルバムでもあり、この年の末に彼はグループを去ることとなった。

2000年5月29日、新しいシングル「アイル・ビー・グッド」が7月発売の新アルバム「トゥナイト」に先立ち発表される。このアルバムには「S.O.Sフォー・ラブ」や「アイ・ワナ・ビー・フライ」、「ドゥ・ホワット・ユー・ドゥ」などポテンシャルの高い曲があったが、制作会社はプロモーション用の追加シングルを発表しようとはしなかった。

2001年7月、コンピレーションアルバム「バッド・ボーイズ・ベスト2001」が発表される。そこには近作4枚のヒット曲のほか、2曲の新曲「ドント・ウォント・ユア・ラブ」と「スウィート・リトル・シングス」も収録された。2002年にはココナッツ・レコーズとグループの契約が切れる。

2002年の夏、グループはデヴィッド・ブランデス(ブロス・ミュージック)と契約を結び、9月より新しいアルバムの制作にとりかかる。

200377日、コフ・ユニヴァーサルの支援を受けて新しいシングル「ラヴァー・オン・ライン」(ドイツで第72位)が8月4日発表の新アルバム「アラウンド・ザ・ワールド」(ドイツで第43位)に先立ち発表される。その他にもメドレー盤「イン・ザ・ミックス」と「20世紀のスターたち、ベスト・ヒット」(ポーランド市場限定盤)が発売される。

2004年、バッド・ボーイズ・ブルーはプロモーション用のコンサートでドイツ、アメリカ、ロシア、ウクライナとハンガリーを回る。

20051月、バッド・ボーイズ・ブルーのこのメンバーで最後となるコンサートが開催され、その後アンドリューはグループを去る。2005年、ジョンは音楽家やヴォーカルらと一緒にドイツ、アメリカ、ロシア、トルコでのコンサートに一年を費やす。この2005年はグループの企画作品が多数販売された年でもあった。グループ初のDVDである「1985-2005ビデオ・コレクション」、メドレー盤「ヒット・コレクションVol.1、ユー・アー・ウーマン」、「ヒット・コレクションVol.2、ベスト」「グレーテスト・ヒッツ・リミックス」、「ハングリー・フォー・ラブ」、「グレーテスト・ヒッツ(2枚組)」、そしてコンピレーション盤「コンプリート・リミックス」と「ダンシング・ウィズ・バッド・ボーイス」が発売された。

2006年1月、ジョンの新たな仲間としてカルロス・フェレイラ(1969年4月11日モザンビーク生まれ)が加わる。2006年6月、バッド・ボーイズ・ブルーのメガヒット曲を集めた3枚組み特別ボックス「ヒット・コレクション」が発売される。

20078月、コンピレーション盤「バッド・ボーイズ・ベスト2001」と曲構成が同じの

新しいメドレー盤「バッド・ボーイズ・ベスト」が発売される。20079月、バッド・ボーイズ・ブルーの新しいDVD、「バッド・ボーイズ・ベスト・ビデオ集」が発売される。ビデオクリップの構成は「19852005ビデオ・コレクション」と同じであった。

2008613日、フランスの制作会社であるMSプロジェクト(ヨハン・ペリエとアントワン・ブランク)によってバッド・ボーイズ・ブルーの新しいアルバム「ハート&ソウル」が発売される。2008520日にはシングル「スティル・イン・ラブ」が先行発売され、そのほかオールマイティ、アレックス・ツイスター、DJエルカンやDJモラザによって制作されたリミックス曲の数々が収録されていた。同じ年、新しいコンピレーション盤「シングル・ヒッツ(グレーテスト・ヒッツ)」が発表される。

2009年5月、「クイーン・オブ・マイ・ドリーム」がデジタル・シングルとして発売される。

2009年6月19日、ココナッツ・ミュージック/ソニーBMGによって特別コンピレーション盤「アンフォーゲッタブル」が発表される。本作は亡くなった2人のBBB創立時メンバー、トレヴァー・テイラーとアンドリュー・トーマスに捧げるものであった。